呼びかける声にも、近づく姿にも気づいているのに、アイクがその手を止めることはなかった。
パカン、と快活な音を響かせて、薪が割れる。当たりどころが悪かったのか何なのか、割れた薪の一つが飛んで「あ」と、アイクとの声が重なったときには額に衝撃があった。まるでギャグ漫画のよう、と思いつつ、痛みに呻いてはうずくまった。
「すまん、大丈夫か」
ようやく彼は斧──それも、父の形見だというウルヴァン──を置いて、のほうを向いた。
平気だと答えるより早く、アイクが膝をついて、のフードを取り去った。そして、前髪をかき分けて額を見つめる。
「傷はついていないようだが、赤くなっているな」
「あ、わっ、ちょ」
確かめるように、アイクの指先が額に触れた。「痛むか?」と、真面目な顔をしてアイクが問う。真摯な視線を受けて、は思わず視線を逸らしてしまう。
「だ、大丈夫です」
「そうか」
すっくと立ちあがったアイクが、手を差し出す。は戸惑いながらもその手を借りた。
いったいどれだけの間薪割りにいそしんでいたのだろう。薪が山積みになっている。しかし、アイクの表情は疲れているわけでもなく、汗をにじませる様子も見られなかった。むしろ、ここまで走って来たのほうが、首筋にじんわりと汗をかいていた。
はアイクが触れた前髪を指先で整えて、痛みの残る額を隠した。アイクの手がウルヴァンに伸びるのを見て、は慌てた。
「アイクさん!」
思わず、柄を握るアイクの手を己の両手で押さえていた。
大きくて、武骨な手だった。
「薪割りなんて、アイクさんがするようなことじゃないです」
「この斧を使うには力が必要だ。薪割りは、仕事にも訓練にもなる。一石二鳥だと思ったんだが、迷惑だったか?」
「め、迷惑じゃないですけど、でも、だって」
なら問題ないだろう、とアイクが再び薪割りにいそしもうとするので、は重ねた手に力を込める。アイクが不思議そうにを見つめた。責めたり、怒ったりしているわけではないのに、はすこしだけ怯んだ。
しかし、今度は視線を逸らすことなく、アイクの蒼い瞳を見つめ返す。
「ここに居るときは……できれば、休んでほしいんです」
「それはこっちの台詞だ」
押さえ付けていたはずのアイクの手はするりと抜けて、の手首を握った。「え?」と、目を白黒させるのことなどお構いなしに、アイクがもう一方の手でウルヴァンを掴んで歩き出す。
「薪割りは中断する」
「あ、は、はい」
中断、ということは、後で再開するということか。はちら、と散らばる薪を見やった。足元を確認していないせいで、転がっていた薪の一つに躓いた。ぐっ、とアイクの力に引き寄せられて、無様に転ぶのを何とか免れる。
硬い胸板が頬に当たる。は呆然としたまま、アイクを見上げた。
「大丈夫か?」
アイクに顔を覗き込むようにされて、ははっとして距離を取った。
「す、すみません、ありがとうございます」
ふと、アイクの視線がずれる。はその視線を追おうとしたが、ふいに耳朶を指先で挟まれて、身体が硬直した。
「耳も赤いが、薪が当たったか?」
「え?」
「……なんてな」
アイクがふっとやわらかく目元を緩めた。
からかわれた、とは歩き始めてから気づいて、ますます顔に熱を集めるのだった。そして、冷たいタオルが額に押し当てられてなお、顔を上げることができなかった。