(※ハロウィンにかこつけて好き勝手しています。何でも許せる方はどうぞ)
小さな欠伸を漏らしたの瞳に、涙が滲む。はしたないとわかっていながら、は目尻に指先を伸ばした。しかし、涙を拭ったのは浅黒い指だった。
音も気配もなく部屋に入り込むのは、さすがと言うべきか。はため息を吐いて、机に向けていた身体こと振り返り、ニヤつく顔を睨みつけた。隻眼が、愉悦そうに細められる。
「ゼロ、あなたね」
「お疲れのを労わろうと思ってね。ほぅら、おクチを開けな」
は反射的に唇を結んだが、予想していたと言わんばかりに無理やりこじ開けられる。放り込まれたのは、一粒のチョコレートのようだった。あっという間に舌の上で溶けて、甘さが広がる。
口元を押さえて、はゼロを訝しげに見つめた。
確かに疲れてはいる。レオンの手前、それを顔に出したつもりはなかったのだが、ゼロにはバレていたのか。
「……で、コレが夜なべして作った衣装か?」
トルソーを眺めたゼロが「レオン様のトマト好きも大したモンだ」と、呆れたふうに呟く。
どこかの舞踏会にでも現れそうな煌びやかな礼装に、艶々と輝くトマトの被り物──レオンのトマトに対するこだわりが強く、何度も駄目出しをされてようやく完成したのだ。その涙と汗の結晶を馬鹿にされたような気がして、はゼロの脇腹を小突いた。
わざとらしく痛がるふりをして、ゼロが降参のポーズをとった。
「両国の親睦を深めるための仮装パーティなんて、カムイ様の頭は相当なお花畑でいらっしゃる」
「やめて」
ぴしゃりと跳ね除けると、ゼロが肩を竦めた。
長く敵対していた暗夜王国と白夜王国が、急に共闘することになってギクシャクするのは当たり前である。
焼き芋をほおばっていたカムイが、ふいにパチンと手を叩いたとき、には嫌な予感がした。それはジョーカーも同様だったようで、思わず互いに視線を合わせてしまった。「お飲み物ですね、カムイ様」と、さりげなくジョーカーが意識を逸らすように口を挟んだが、カムイの首は横に振られた。
ごくん、と口の中の焼き芋を飲み込んだカムイがにっこりと笑う。
「仮装パーティです!」
曰く、どこかの国ではこの時期に収穫を祝う祭りが催され、先祖の霊とやってきた悪霊を追い払うために仮装をするのだという。北の城塞で本ばかりを読んで過ごした日々もあるが、それは子ども向けの絵本が大半で、カムイの知識は嘘かまことか定かではない。
秋は暗夜王国においても、実りある季節ではある。
寒く厳しい冬を迎えるにあたって、この時期の食物はとても大事だ。冬を越すために入念に準備される。
もっとも、この異空間には何ら関係のないことである。この拠点には冬が訪れることはない。
「レオン様の衣装にかかりきりで、自分の分はおざなりだろうと思ってね。俺がの衣装を用意してヤったぞ」
ゼロが手にしていた袋をに差し出す。
怪しさ満点であるが、確かにの衣装には時間が割けなかった。というのも、レオンのみならず、臣下であるゼロとオーディンの衣装も作ったせいだ。
は素直に袋を受け取り、籠に入ったゼロの衣装を指し示した。レオンの設定では、ゼロとオーディンはトマト伯爵を守る狼男らしい。
ちなみに耳や尻尾の質感は、ガルーを参考にさせてもらった。しつこく触り過ぎて、フランネルに嫌がられてしまったが仕方がない。ニシキの尾にも触れてみたが、あまりにフランネルと質感が違い過ぎた。
「ゼロの分よ」
「ああ、悪いな。パーティなんて柄じゃないんだがな」
「カムイ様のためだもの。レオン様も口ではどうと言おうと、案外乗り気なのよ」
仮装パーティは今夜だ。
まだ昼を過ぎたばかりで、当日の準備に取り掛かるには早い。料理の仕込みは終わっているし、会場の飾りは完成していてあとは少し整え、飾るだけでいい。とはいえ、恐らくフェリシアのせいで手間も増えるので、早めに準備しなければならないだろう。
衣装の製作からパーティの料理、挙句は会場の飾りつけなど、使用人も忙しい。
「さて、の愛情からナニまでたっぷり注がれた衣装、着てみるとしようか」
「……何も注いでません」
くつくつと笑いながら、ゼロが衣装を手に取った。
「こっちで着替える。見てもイイぜ、何なら手伝ってくれても」
の握った拳を見て、ゼロが閉口する。
ふう、と一息ついて、はゼロから貰った袋を開いた。
畳まれた薄いピンク色の布を、広げてみる。丈がひどく短い上に、胸元はハート型に開いた部分があり谷間が見える仕様になっていた。
は呆れた顔で服を机に置いて、袋の中身を確認する。イカリのような不思議な形をした、同じく薄ピンクの布がある。には何なのか見当持つかなかった。
「ゼロ、わたしにこれを着ろというの?」
は思わず振り向いた。
着替えの途中であるゼロが、上裸のまま近づいてくる。狼の獣耳はすでに装着されていて、着替える順番が可笑しい。
「行商から買ったナース服だ。高くついたんだ、着てくれるだろう?」
「ナース? カムイ様がおっしゃっていた仮装と関係ないじゃない。悪霊を追い払うため、恐ろしい怪物や怖いものに仮装するんでしょう?」
それに、とは衣装に視線を落とす。
「丈も短すぎるし、胸元だってこんな」
「丈は、そのスカートとあまり変わらんだろうに。まあまずは着てみてくれ。人前に出られるかどうかは、着てみないことには……なあ?」
「ちょ、ゼロ……」
ゼロの手が、の髪飾りを外した。首元のブローチに手が伸びて、は慌てて身を引いた。
「わ、わかったわ。とりあえず、着てみる。せっかく用意してくれたんだもの」
「フフ、お前ならそう言ってくれると思ってたぜ?」
「…………ゼロ、廊下に出てくれる?」
衣装を肩に引っかけたゼロが、部屋を出ていく。
カミラやオロチの服装を思い出して、この衣装がそこまで際どいものではないと、は自分に言い聞かせる。そうでもしないと、とてもじゃないがこんな服を着れそうになかった。
ゼロがをからかっているのだとしても、厚意も含まれていることには違いない。
悩んでいる間にも時は過ぎて、厨房に行かなければならない時間が迫ってくる。少しでも遅れたとなれば、ジョーカーが怒るに違いない。は意を決して、衣装を身に纏った。
「ゼロ……」
扉を少しだけ開けて、は小さく声をかけた。
「何だ、遅かったじゃないか。焦らしプレイかと思ったくらいだ」
「あっ」
ゼロが遠慮なく扉を開けて、ズカズカと部屋に入ってくる。
は恥ずかしさから目を伏せた。
「ね、ねえ、これで本当に合っているの? やっぱり丈が短すぎるわ。それに」
「ああ、けしからんな。イヤらしい谷間だ」
ゼロの浅黒い指が、白い谷間に埋もれる。「きゃあ!」と、悲鳴を上げて、は思い切りゼロを突き飛ばした。
「ぐふっ……!」
「もう! ふざけないで、ゼロ!」
「お前のその姿が見れたんだ、ここでイっちまっても悔いなし……ん? おい、帽子を忘れてるぞ」
急に真顔になったゼロが、机に置いてあるイカリ型の布を手にした。それはあっという間に帽子の形となって、の頭にかぶせられる。
「これで完璧だ」
「……ねえ、もう脱いでいい? レオン様の身支度もあるし、オーディンに衣装も届けなきゃ」
「おい待て! まだその姿を目に焼き付けてない……」
「ゼロ」
は低く、唸るように名を呼んだ。
「これ以上は許さないわよ。痛い目見る?」
は袋の底に残っていた注射器を取り出して、構えてみる。怯えた顔でもしてくれればいいものを、ゼロが頬を赤らめて恍惚と目を細めた。
「乗り気じゃないか、。イイぜ、来いよ。俺の太い注射を──」
が本気でゾッとして、手にした注射器を振りかぶった時、何の前触れもなく扉が開いた。
「、仮装の準備はできて……」
レオンがとゼロとを見やり、怪訝そうに眉をひそめた。
「お前の仮装は魔女のはずだよね、?」
「は、はい! すぐに着替えます」
「ゼロ、あんまりにちょっかい出すなよ。目に余る」
レオンがシーツを引っ張って、の肩に掛けてくれる。あまりに自然でスマートな仕草だった。「ほら、早く着替えなよ」と、ゼロを引きずって廊下に出てくれさえする。
ゼロとはまったく違う紳士ぶりである。扉の隙間から、レオンの魔道による光が見えた気がしたが、は構わずに素早く着替えを終えた。
「申し訳ありません。レオン様、ご用意できました」
「ああ」
涼しい顔で部屋に足を踏み入れるレオンの後ろで、ゼロがかすかに青ざめている。はちら、とゼロを窺いながらも、扉を閉めた。
扉が閉まる間際に、浅黒い指先が魔女帽子の鍔を弾いた。「今夜が楽しみだ」とゼロが囁いたような気がして、確認しようと廊下を見た時にはすでにその姿は消えていた。首を捻りながら、はレオンを振り返る。
「、このトマトの艶! 素晴らしいね」
瞳を輝かせ、年相応の笑顔を見せるレオンを前に、感じた不穏さなど消え去ってしまう。夜なべして作った甲斐があったというものだ。
トマト伯爵に扮した満足げなレオンの姿に、は頬を緩める。ゼロのことなどもはや頭の片隅にもなかった。