いつもと違う羽織袴を身にまとったタクミは、いつもより浮足立った気持ちで、片手に餅を抱えていた。白夜では年明けを祝う風習があるのだから、新年くらい多少は浮ついた気持ちがあってもいいだろう。しかしまさか、このような恰好で異界に呼ばれるとは予想だにしなかった事態である。
 どうやらタクミと同じような状況で召喚されたらしいカムイやアクアの姿もあったが、やはり正月気分が抜けていないようだった。

 タクミは前方に見知った姿を認めて、足を止めた。当然ながら見慣れたメイド服を着ている。普段と違う装いの自分がなんだか恥ずかしいような気がして、タクミは声をかけるのを躊躇う。

「……、」

 それでも、意を決して口を開く。新年早々、彼女の顔を見られるなんてついている。
 そう思ったのも束の間、振り返ったが小さく悲鳴を上げて両手で顔を覆い隠した。「た、タクミ様?」恥ずかしそうな様子で、指の隙間からの瞳がのぞく。

「どうしたの、その顔」
「あっ、や、タクミ様……」

 細い手首を捉えてしまえば、その顔を拝むことなど容易である。
 頬の紅潮した情けないの顔は、墨で汚れていた。というよりこれは──

「もしかして、羽根つきで負けたの?」

 タクミは小さく笑って、親指の腹で墨を拭う。「タクミ様、御手が汚れてしまいます」と、が慌ててタクミの手を止めた。
 暗夜王国で生まれ育ったにとって、羽根つきは初めての経験だったのだろう。もはや落書きする部分も残らぬほどに、墨でやりたい放題されている。タクミは己の格好に気後れしていたことなど忘れて、もう一度小さく声を立てて笑うと、の手を引いた。

「タクミ様?」
「おいでよ、その顔何とかしてあげる」

 羽根つきの相手は、羽子板を手にしていたアクアだったのだろうか。もしくは、別の白夜王国の者だろうか。

「タクミ様、あの……新年の御召し物、とても素敵でお似合いです」

 思わず、握った指先に力が籠る。
 振り返った先で、が相変わらず恥ずかしそうに顔を伏せている。おかげで、タクミの動揺には気づいていないようだった。浮かれていると思われていないだろうか。

「それにしても、そのような格好でも俊敏に動かれるので、驚きました。あの、タクミ様がお持ちになっている白いものも、なにか意味があるのでしょうか」
「……あとで、詳しく教えてあげるよ」

 今さら、照れ臭くなってしまい、タクミはやや尖った口調で答えた。「それより、顔」と、誤魔化すように言い募る。水場で足を止めて、手ぬぐいを湿らせる。
 タクミはなるべくやさしい仕草で、の顔をそれで拭ってやる。
 それほど時間が経っていないため、墨はすぐに落ちていく。素直に目を閉じてこちらに身を任せるを見ていると、何だか悪いことをしているような気分になる。早く終わらせようと気が急いて、思わず強い力でこすってしまった。

「っ……」

 が小さく息を呑んで、薄眼を開けた。ひどく近い位置で視線が交わって、タクミは激しく動揺する。

「と、取れましたか?」
「も、もうちょっと」

 丁寧を心がけて、手ぬぐいをの顔に滑らせる。「んっ」と、の結ばれた唇から小さく声が漏れた。タクミはそこでようやく、自分がとても大胆な真似をしているのではないかと思い始めた。そうだ、これはきっと、正月気分で気が大きくなってしまっていたのだ──
 すっかり黒くなった手ぬぐいを水場に放ると、タクミはさっとから距離を取った。何だかどっと疲れてしまった。

「ありがとうございます、タクミ様」
「う、うん……」
「あの、タクミ様」

 抱えた餅が何だか重く感じる。タクミは急に気まずさや居心地の悪さを感じて、視線を合わせることができなかった。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 が丁寧に腰を折った。タクミは背中を流れる髪をただ見つめる。

「……タクミ様? ええと、挨拶の仕方が可笑しかったでしょうか?」

 顔を上げたが不安そうに瞳を瞬かせる。
 タクミは変に強張っていた身体の緊張を解くと「こちらこそ」と、右手を差し出して握手を交わした。そして、の手を握ったまま引き寄せる。バランスを崩した身体が、ぽすんとタクミの胸元に収まる。

「た、タクミ様?」

 慌てて離れようとするので、すこしだけ腕の中に閉じ込めて、タクミはそっとの耳元に唇を寄せた。

「よし、僕が羽根つきの仇を取ってあげるよ」

 いくら正月気分で浮かれていようとも、愛を囁けるような性分ではなかった。赤くなった顔を見られないように、タクミはの肩口に顔を埋める。

「は、はい、お願いします」

 が戸惑った声を腕の中から上げたけれど、もうしばらくは解放できそうになかった。

落ちきらなかった煩悩に

(やわらかい、いい匂いする、ああ僕って奴は!)