また会おう、と晴れやかな顔でレオンが手を振りながら、馬の腹を蹴った。
 あっという間に見えなくなったレオンの姿を、しばしオーディンは呆然と見ていたが、ゼロに小突かれて慌てて走り出す。馬と徒歩ではあまりに差がありすぎる。「れ、レオン様ぁ~」思わず、情けない声が漏れた。

 オーディンは、のことを、あまり知らない。
 レオンに仕えるようになって日はまだ浅いと言える。オーディンが初めてレオンに会ったときには、傍にゼロとがいた。今でこそ、レオンもオーディンを信頼してくれているようだが、初めのころはずいぶんとそっけない態度を取られたものだ。もちろん、オーディン自身、己がどれだけ不審かはわかっている。
 父親である王命とは言え、素性もわからない者を突然臣下にしろとなれば、警戒するのも当たり前である。

 レオンの辛辣ともいえる態度を、がいちいちフォローしてくれていたことは、まだ記憶に新しい。オーディンの血が沸き立つような、胸がときめくような命令をレオンが下した際にも「なにか手伝えることがあったら言ってね」と、声をかけてくれた。
 むしろ、胸を躍らせていたオーディンは嬉々としてその命令を受けていたのだが、おそらくはそれを知らない。




 がレオンのことを悪く言うことは、絶対になかった。また、命令に背くこともなかった。いつもいつも、レオンのことを思い、考え、行動していた。レオンの傍にがいないなんて、オーディンは想像したこともなかった。
 しばらく走ったその先にレオンの姿を見つけ、オーディンはほっと胸を撫で下ろす。
 レオン様、と声をかけようとして、ゼロに肩を掴まれて止められる。ゼロが険しい表情をして首を横に振った。

 馬上のレオンを見て、オーディンは言葉を失った。
 別れ際にカムイに見せた笑顔とは打って変わって、暗い顔をしてうつむいている。まるで、光届かぬ深淵の暗闇を思わせる、そんな表情である。泣いてしまうのではないか、とさえ思うほどに、暗く沈んだ顔をオーディンは直視することができなかった。

……」

 レオンの唇から名前が紡がれる。
 ゼロが予想通りと言わんばかりに、呆れたように肩をすくめて見せる。

 と別れる、それを選んだのは、他でもないレオンだ。すこし意地っ張りな性格が災いしたばかりに、前言を撤回することができなかった。裏切り者、とその言葉は、のことはもちろんレオンのことも傷つけたのだろう。

 オーディンはかける言葉もなく、いつもの調子をすっかり失って、ゼロを見やった。
 つまらなそうな顔をして、ゼロがレオンを見ている。レオンもまた、と同じようにレオンを敬愛しているはずなのだが、その表情はレオンを責めるようだった。

「……すごく、大事なのに、どうして大切にできないんだろう」

 レオンが自分の手のひらを見つめて呟き、ぐっと握りこぶしをつくる。

「傍にいてほしいのに、突き放すなんて、どうかしてるよ」

 レオンの口元がゆるやかなカーブを描く。オーディンはなにも言えないまま、その顔を横目で見た。一見、なんの欠点もなさそうなレオンだが、意外と子どもっぽい一面もあるということを、そう長い付き合いではないオーディンでも知っている。
 やゼロに至っては、もっとよりレオンのことを理解しているだろう。
 ──だから、今回のレオンのこの行為もその思いも、にはよくわかっているはずだ。

 オーディンは彷徨わせていた視線をレオンへ向ける。そうして、口角を上げて笑みをつくった。友のように、気安く肩を叩いたりすることはできないが、オーディンは下からレオンの顔を覗き込む。

「大丈夫ですよ、レオン様。ならきっと、レオン様に大事にされてるって、よーくわかってます」

 そうかな、とレオンが嘲笑を浮かべたまま、力なくつぶやく。あからさまに大きなため息をひとつ吐いて、ゼロがレオンに近づく。ずいぶんと近くまで寄られて、馬がブルルと鼻を鳴らした。

「当たり前です。何年レオン様と一緒にいると思ってるんです? 今頃は反省しながら、レオン様の無事を祈ってますよ」
「……ゼロ」
「その辛気臭い顔、いますぐやめないと、俺のとっておきのお仕置きをさせていただきますが……?」

 目を細めてにやりと笑うゼロの顔に、自分に向けられたわけではないのに、ぞわっとオーディンの背筋に悪寒が走る。レオンの表情が引きつる。

「あ、ああ、わかったよ」

 レオンの手が、愛用のブリュンヒルデの表紙を撫でる。すこしだけやさしく目尻が下がり、レオンが表情をやわらげた。に向ける顔だ、とオーディンは思う。

「せめて、に誇れる僕でいなきゃね」

 「さあ、行こう」と、レオンが再び馬を蹴るが、その速度は緩やかだ。オーディンは置いていかれなかったことに、内心でほっと息をつく。
 ゼロの言う通り、はきっとレオンの命に背いたことを、死ぬほど後悔して反省していることだろう。そして、レオンの傍にいれないことへの不安や焦燥を覚えているに違いない。その様子が容易く想像できるのだから、オーディンものことを、よくわかってきたものだ。

 そして、レオンの胸の内には暗い海の底よりも深い後悔の念を抱えていることだろう。「ごめん、……」と、一瞬だけ振り向いたレオンのつぶやきが聞こえたが、オーディンはなにも気づかないふりをした。

ばかって言った回数

(きっと、数えきれない)