「どうしていつもここにいるの?」

 パキッ、と踏まれた瓦礫が小さく音を立てた。
 ディミトリは視線を向けることも、口を開くこともしなかった。けれども、そんなことなど気に留めず、前に回り込んだが顔を覗き込んでくる。ディミトリは、目を合わせない。
 小さく息を吐いたが、ディミトリの見上げるほうへ顔を向けた。

「わたし、ここは好きじゃない」

 ならば、立ち去ればよい。ディミトリは思えど、口にはしない。誰かと言葉を交わす気になどなれやしなかった。

「……女神さまは、わたしを救ってくださらなかったもの」

 の静かな声は、沈痛さを孕んでいた。
 死んだと思われたが、これまでどのように生きながらえていたかなど、ディミトリには興味がなかった。

 ディミトリは隻眼にの姿を映す。幾度も戦場に向かおうとするディミトリを止めようとしては振り払われ、いつしかの身体には消えない傷が残った。がそれを責めることはなかったが、代わりとばかりにガルグ=マクで再会した幼なじみたちがまなじりを吊り上げる。
 騒がしい声が脳裏に蘇って、ディミトリは眉間に皴を刻んだ。
 ふと、の視線がディミトリに戻ってくる。「また、そんな顔して」と、呆れたふうに言いながらも穏やかに笑っているのだがら、ディミトリにはの感情がよくわからない。

 もっとも、理解しようとも思わなかった。
 ふい、と視線を背けたディミトリに何も言わず、がくるりと踊るように踵を返した。パキ、とまた音が鳴る。

「ディミトリ」

 が、噛みしめるようにその名を呼ぶ。それだけのことで、大切でたまらないのだとわかるのだから可笑しい。ディミトリは目を閉じて、一切合切を無視した。

「まだ寝ないの?」
「…………」
「いつまでそうしているつもり?」
「…………」

 答えずにいると、がディミトリの手を握った。ディミトリは目を開ける。
 何度振り払われようと、ときには突き飛ばされようとも、はこうして躊躇いなく触れてくる。学習能力がないのだろうか。

 ディミトリは、いつものように軽く手を振り解く。造作もないことだ。

「ディミトリ、倒れるように眠るばかりじゃ疲れが取れないわ」

 懲りずに伸ばした手を、叩き落とす。の顔が一瞬だけ痛みに歪んだ。
 赤くなった手を胸に抱いて「乱暴者」と、が恨みがましく呟く。ディミトリはを一瞥する。乱暴されるのが好きじゃないのなら、近づかなければいい。そう思うも、言葉にはしない。

「……じゃあ、疲れることする?」

 がしなを作って、猫のように身を摺り寄せてくる。ディミトリはの肩を掴んだ。思わず、指先がぎりりと食い込む。

「失せろ」
「いや。あなたが休むまで、わたしはずっとここにいる」

 がじっとディミトリを見つめる。ぐ、と指先に力を込めても、が顔を歪めることも悲鳴を上げることもなかった。

「みんな、あなたを心配しているのよ」

 の指先がそっと、ディミトリの頬に触れた。

「年がら年中、そんな隈作って。色男が台なしじゃない」

 子を叱る親のように言って、がふっと笑みをこぼした。
 ディミトリはの肩を突き飛ばす。加減はしたつもりだったが、思った以上にの身体はふらついた。

「馬鹿力」

 がディミトリを睨むが、それは敵意も殺意もない可愛いものだ。
 じろりと見下ろせば、が軽く肩を竦めた。

「ディミトリの馬鹿。阿呆。人でなし」

 捨て台詞を吐いて、が長椅子に腰を下ろす。宣言通り、ディミトリが休むまで大聖堂にいるつもりらしい。
 膝を抱えた姿は、ひどく小さく頼りない。

「……ディミトリは、生きてるよ」

 この数年、何度も繰り返して言われた言葉だ。耳にたこができるほどだが、ディミトリがそれを認めない限りこれからも言い続けるのだろう。

「死なないで……」

 か細い声が、静かな大聖堂の空気を震わせる。
 ディミトリは振り返る。膝に顔を埋めたの表情は見えなかった。

 ガルグ=マクに辿り着くまで、ディミトリは命を顧みずに戦い続けた。否、いまだって戦い続けている。
 戦うすべを持たないまま、ディミトリに纏わりついたが命を落とさなかったのは、単なる偶然である。ディミトリはを守ってなどいない。

 の姿が、迷子になった子どものように思えて、気がづけばディミトリの足は動いていた。
 ふっ、と翳ったことに気づいてか、が顔をあげた。ディミトリは無言のまま、の服をはだけさせる。「あっ」と声を上げたが慌てて腕を掴んだが、ディミトリには何の制止にもならなかった。

「……メルセデスに治療を頼め」
「必要ない」

 先ほどディミトリが掴んだ部分が、内出血を起こして変色している。痛むはずなのに、が首を横に振った。

「あなたがくれるものは、痛みだってなんだってもらう。ディミトリはね、死霊でも何でもないのよ」

 がまなじりにぐっと力を込める。それは、泣くのを我慢しているときの仕草だった。
 ディミトリのどこかが、軋むように痛む。「鬱陶しいのなら、切り捨ててしまえばいい」と、誰かがディミトリの耳元で囁く。その言葉を聞くのは一度や二度ではなかったが、ディミトリは従うことをしなかった。

「……与えたつもりはない」

 何も好き好んで、の身体に傷を増やしているのではない。
 紫色の肌に指を這わせる。がぶるりと身を震わせ「ファーガスじゃないけど、十分寒いね」と、小さく笑った。

 ディミトリは膝をつき、と目線を合わせた。不思議そうにが瞳を瞬く。

「ディ……」

 唇を重ねて言葉を奪う。至近距離で、睫毛が忙しなく動くのがわかった。
 ディミトリは指先を滑らせ、薄い肩を撫でる。膝を折りたたんだ状態が窮屈そうだったので、ディミトリは空いている手で足を下ろさせた。そのまま、太ももに手を這わす。

「っ、ディミトリ、」

 ぞわりと立った鳥肌は、寒さのせいではないはずだ。ディミトリは揺れる瞳を射抜く。
 と肌を重ねたのは、あのたった一度きりだ。いくら共に過ごそうとも、愛だの情だの、そんなものが湧くわけもない。

「…………触っても、いい?」

 の手は、ディミトリの前腕を掴んだままだった。ディミトリはうんともすんとも言わなければ、首を縦にも横にも振らなかった。
 腕から離れた手が、そうっとディミトリの目元に伸びる。

 躊躇いがちに、ひどく慎重な手つきで、指先が眼帯の上をなぞる。

「抱きしめてもいい……?」

 瞳は乾いていたけれど、の声は湿っぽかった。
 なおも答えぬディミトリの後頭部にの手のひらが触れて、もう一方の手が首に回った。ディミトリは両腕を下ろす。

「ディミトリ」

 大事な大事な宝物の名をなぞるようにして、静かに声を落とす。あらゆる暖かい感情がそこに込められているような錯覚を覚える。
 が愛を囁いたことはない。
 けれども、ディミトリを己の命よりも大事に思っていることが、伝わってくる。

 の頸動脈がとくとくと脈打っている。
 ディミトリは抱きしめ返すこともなく、ただそれを感じる。の震えた吐息が首元に触れた。

「……気は済んだか」
「もうすこし、」

 ぎゅ、との抱きしめる腕に力がこもる。
 しかし、ディミトリが離れようとすれば、その手は容易く離れた。

 ディミトリを見つめるの瞳は、わずかに潤んでいた。そのせいで、月明かりを受けて煌めいて見える気がした。
 きゅっと結ばれた唇を、親指でこじ開ける。がすこし眉尻を下げた。

 慣れない手つきでディミトリの籠手を外したが、歯を使って器用に手袋を抜き取る。言いようのない不快感を覚えて、ディミトリは眉をひそめた。悪徳貴族に飼われていた、と口にしたがその仔細を語ることはなくとも、想像は容易だ。
 ディミトリを見つめたまま、が指先に口づける。

「冷えてる」

 ディミトリはぐ、との口に親指をねじ込んだ。
 指の先がの前歯に触れる。そのまま指を動かし、形を確かめる。

「ん……」

 されるがままだったが、ふいに舌を絡ませた。ちゅう、と音を立てて吸いつく。
 窺うようなの視線が、恥じらうみたいにして伏せられる。その扇情的な仕草が、何故だかひどく腹立たしい。ディミトリは指を引き抜く。

「……どうして、怖い顔するの?」

 が不可解だと言わんばかりの顔で、小首を傾げる。

「ディミトリ、言ってくれなきゃわからない」
「……知ってどうする」
「あなたを理解したいと思うことは、そんなに変なこと?」

 チッ、と小さく舌を打てば、が首を竦めた。
 煩わしい。それ以上無駄口を叩かれる前に、とディミトリはの脚を割り開いた。ひとつなぎの寝衣の裾は長いが、捲りあげてしまえば簡単に素足があらわになる。ひやりとした空気が触れたからか、が肩から落ちていた肩掛けを引き寄せた。

「すぐに寒さなど忘れる」

 ディミトリはもう片方の籠手も外し、素手をに伸ばした。


 記憶にある少女の面影を残した顔の輪郭に沿って、指を這わす。が不安げに見つめてくるのがわかったが、ディミトリは目を合わせなかった。
 頬から喉元へと降りた指で、鎖骨の凸凹をなぞる。

「っ……」

 肩へと指が伸びれば、の身体が小さく震えた。
 ディミトリは身を屈めて、変色したところに唇を寄せた。舐めあげると、ぴくりと身を跳ねさせたが、ぎゅっとディミトリの外套を握った。指先が白むほど力がこもっている。
 ディミトリはそれに気づいて、の指を開かせると己の指を絡め合わせた。逡巡するように躊躇った指が、握り返してくる。

 首筋に唇を押し当てれば、の指先に一瞬だけ力がこもった。

「っあ、」

 反らした喉が震え、甲高い声があたりに響く。
 が恥ずかしげに口元を手で覆った。

 こんな夜更けに、人が来る心配などあるまい。ましてや、ディミトリがいると知って、わざわざ足を運ぶもの好きはくらいなものだ。

「っふ、ぅ、んん……」

 くぐもった嬌声を聞きながら、ディミトリの唇は首から喉を過ぎて、胸元へ下っていく。先ほど無理な力を加えられたせいで、釦が一つ二つはじけ飛んでしまっていた。膨らみを覆う下着を上にずらせば、ふるりと乳房が揺れながら現れる。
 相変わらず、新雪のごとく白い肌だった。柔い肌に、軽く歯を立てる。

「ん……!」

 のつま先が跳ねる。
 ディミトリは誘うように揺れる乳首に舌を伸ばし、ちゅうと音を立てながら吸いつく。びくびくと跳ねるの身体と連動して、繋がった指先がきつくなっては緩んだ。

 かり、と指先で胸の尖りを引っかけば、が背を反らした。長椅子から落ちそうになった身体を抱き寄せる。
 ディミトリの甲冑に肌が触れて、が眉毛を下げて「冷たい……」と呟いた。

 脱いで、との目は訴えていたが、ディミトリは瞬きひとつで視線を断ち切る。
 場所を入れ替え、長椅子に座ったディミトリは、を自身に跨らせた。のもの言いたげな視線を感じながら、脚の付け根へと手を伸ばす。

「……っ」

 が息を詰めた。
 下着の中心はじわりと滲んでいる。肩に置かれたの手が、力むのがわかった。伝わってくるのは、緊張と恐怖だ。

「久しぶりだから、なんだか緊張しちゃう」

 が誤魔化すように笑い、長い睫毛を伏せた。月明かりがの頬に、繊細な影を落とした。

「……慣れてるのに」

 ふ、とが唇に自嘲の笑みを乗せた。
 ディミトリは目を細める。ほんとうに、あらゆる意味で、ディミトリはを守ってやれないのだ。

「あっ……」

 左右に結われた紐を片方解くと、秘部を隠す布が失せる。隔たりのなくなったそこへ、ディミトリはもう一度指を這わせた。くちゅりと音を立てて指が沈む。
 うねる膣内は熱く、寒さとは無縁に思えた。

「っん、く、ふ……」

 中に埋めた指を折り曲げながら、親指の腹で陰核を押しつぶす。身を震わせたが、ディミトリに凭れかかる。噛みしめた唇から、噛み殺せない嬌声が漏れて、ディミトリの耳朶に触れる。

「……何故、声を我慢する」
「わたしが、恥じらうのはおかしい?」

 の囁く声が、震えている。
 ぽつ、とディミトリの頬に、雫が落ちた。

「っは……!」

 の顔を確認するより早く、ぎゅうと両腕がディミトリの頭を抱えた。
 膣内がたかだか指一本をきつく締めつける。膣壁が絡みつくせいか、さらに熱を帯びたような感覚を覚える。収縮を終えた秘部から指を引き抜けば、とろりとした愛液が絡みついていた。

 強張った身体から力が抜けて、がディミトリと視線を合わせたとき、その瞳から涙は溢れていなかった。汗ばんだ額に髪の毛が張りついている。だから、ディミトリには先ほどの雫が涙が汗か、判別がつかない。

──こんなこと、慣れたくなかった」

 まなじりに力を込めて、が吐き捨てるように呟きながら、ディミトリに唇を重ねた。


 まだ絶頂の余韻を残しているのか、膣内はひどく熱くて、ひくひくと震えていた。
 がゆっくりと腰を下ろして、ディミトリの男根を飲み込んでいく。焦らされているかと思うほどだったが、体格差を考えれば致し方ないのかもしれなかった。

「っあ、は、ふうン……」

 時間をかけて腰を下ろし切ったが、こつりとディミトリの肩口に額を預けた。の自重で、ひどく深くまで先端が届いている。

「ディミトリ、」

 ゆっくりと瞬いたの瞳が、ディミトリを映した。涙がいまにも溢れそうなほど、目の縁に玉となっている。
 愛してるや好きだのという、陳腐な言葉はなかった。

 ディミトリはの目元に指を這わせる。ほんのわずかに緩んだまなじりから、涙が落ちた。


「生きててよかった」


 ──ディミトリが。自分が。
 どちらともとれる台詞だった。
 いつか、そんなふうに思えるのだろうか。いつかは、こんなふうに穏やかに笑えるのだろうか。けれども、ディミトリが想像してみた未来は、黒く塗りつぶされて何も見えやしなかった。

 ふ、とディミトリは自嘲する。そんなくだらないことを一瞬でも考えてしまったことが、馬鹿馬鹿しくてたまらない。

 これ以上、の言葉を聞きたくなくて、ディミトリは腰を掴んで突き上げる。

「あッ、やあっ、ああ、アぁっ!」

 静謐な大聖堂に、の嬌声が響く。かろうじての唇には指先が添えられていたが、声の抑止の役割は果たせていない。
 力の抜けたの身体が凭れてくるが、甲冑の冷たさなど感じていないようだった。

「はあっ、あァ、深い、」

 最奥を抉るような感覚は、ディミトリにも確かな快楽を与えた。ぐりぐりと、子宮口を潰すように擦りつける。かぶりを振ったの瞳から、涙が弾けて落ちる。

「ぃや、あ、いっちゃ……ッ!」

 の背が弓なりにしなる。
 ふるりと目の前に現れた乳房にかぶりついて、ディミトリは逃げるように浮いた腰を掴んで、引き寄せる。

「ひ、あっ! あぁン! だめ、まっ、あああっ!」

 ぐちゅぐちゅと結合部から音が鳴って、陰茎に絡みつく愛液が白く泡立つ。ディミトリの動きを止めるすべを持たずに、揺さぶられるの身体がびくびくと跳ねる。
 が、快楽に呑まれて、輪郭をなくしていくようだった。

「あ、や、また、いくっ……!」
「……っは……」
「んんんっ、はあっ、あ、ディミトリ、」

 わずかに、ディミトリの息が乱れる。
 すこしばかり動きを緩めれば、が薄らと瞳を開いた。意味を持たない言葉の羅列に紛れて、その名を呼ぶ声だけが、はっきりとしている。

 ディミトリは視線を合わせずに、の柔らかな尻肉に指を沈める。うごめく膣壁を抉って、最奥を穿つ。の涙が、ディミトリの頬を伝っていく。生ぬるい感触がした。
 が縋るように抱きついてくる。
 ディミトリは、片手をの背に回して抱き寄せた。の激しい鼓動と、熱い吐息を感じる。

 生きていてよかったとは思わないが、確かな生を感じた。

 ほとんど間を置かずにが再度達する。首に絡みつく腕に、ぎゅうと力がこもるも、痛くも苦しくもなかった。蕩けきった膣内が、不規則に収縮して男根を締めつける。
 ディミトリは射精感を逃しきれずに、のなかから男根を引き抜いた。

「ディミトリを、救うのは、わたしじゃない……」

 耳元に落ちた涙声は、名前以外は不明瞭だった。
 が腹部に放たれたものを指で掬い取って、口元へ運ぶ。のろのろと動いたが跪き、吐精したばかりの男根を口に含み、己の愛液までもを舐めとった。

「……おまえに、そんなことは望んでいない」

 ディミトリはの髪を引っ掴んで、顔をあげさせる。ぼんやりとディミトリを映した瞳が、揺れた。
 立ち上がったディミトリを、の視線が追いかける。

 手袋をはめながら、ディミトリはを見下ろした。
 が緩慢な動きで身なりを整えて、立ち上がる。しかし、膝が崩れて、の身体が傾いた。それなりの勢いを持ってディミトリに飛び込んでくるを、受け止めてやろうという気にはならなかった。

 甲冑に額をぶつけたが、恥ずかしそうに顔をあげる。

「ごめん……」

 赤くなった額に、ディミトリは指を伸ばした。撫でるでもなく、ただ触れて、ディミトリは何も言わずに踵を返す。背中に視線を感じたが、呼び止める声はなかった。

「…………」

 大聖堂の入り口で、ディミトリは一度を振り返った。小さな背中が震えている。
 彼女は、声を殺して、泣いていた。

 ディミトリは背を向ける。かけるべき言葉も、伸ばす手も、何も持たないと知っていた。

二つの心臓を滲ませて

(この鼓動が重なることなどない)